【連載】僕らのアート時代 vol.1 「『美術』ってなんだ?まっすぐで不器用な在り方」アーティスト・佐塚真啓

PLART編集部 2017.11.15
SERIES

11月15日号

僕らのアート時代とは?

アートは「人の表現」です。人の表現を認めることは人との違いを楽しむこと。

お互いの違いを認め合うこと。そして、それぞれに自分の人生を楽しむこと。きっとここから、新しい時代がはじまります。

人の表現は「今しか」生まれません。今を生きる私たちがその表現に鎖をしめていて、次の世代に何を残せるのでしょうか。

PLARTは”時代の表現”を集めて、編んで、届けます。

連載・僕らのアート時代では、今を生きる表現者たちがここからの時代の流れを示してくれると願い、若いアーティストにフォーカスを当てます。

 

言葉が並んでいる。連なっている。埋め尽くされている。
佐塚真啓さん(さつかまさひろさん、以下佐塚さん)のWebサイトのトップページを見ると誰もが圧倒されるだろう。
冒頭の「泣くなウグイス」のリンク先に飛んで行って、本人のWebサイトを閲覧し始めてみる、…というのに、それでもなおよく分からない。
まるで迷路のようなサイトの中をぐるりぐるりと数回転していく内に、だんだんと自分自身もこの迷路に足を踏み入れてしまったような気がした。
佐塚真啓とは一体何者なのだろう….
佐塚さんの頭の中を分解したくて、その頭の中に渦巻いていることを知りたくて、今回は問いを重ねるインタビューに挑んだ。

 

言葉を獲得することは景色を獲得すること

「この人は、もしかしたら美術家ではなく哲学者なのではないだろうか

インタビュー中に何度もそう思うことがあった。佐塚さんから返ってくる答えは、何度も大きな全体像の話に帰結するからである。

「『美術』と『芸術』ってどちらが上位概念なのか下位概念なのかを考えてみたことがあって。僕は一般通念から離れ、まずそれぞれの言葉を分解することから始めました」

2009年武蔵美術大学造形学部を卒業、その後も精力的に絵画や実測図を書き記していく一方、2012年には国立奥多摩美術館の館長に就任。2014年にはアッシュ・ペー・フランス株式会社が主催するファッション展示会「rooms」で“人間時計”を披露し代々木体育館を沸かせた。

絵画、実測図、身体的表現などさまざまな術を使い、彼は作品を創っている。

そんな佐塚さんは作品づくりと並走させながら、行なっていることがある。

それは自分に問いを打ち立てること。

自分が創っているものは何なのか。芸術なのか、美術なのか、アートなのか。

その言葉を自分に定義づけるために、彼は言葉を分解する作業をしていた。

芸術は芸と術。美術は美と術。というふうに言葉を分けてみて、大きく考えてみると、『美』は心に由来するもの。『芸』は体に由来するものだと思うんです。『芸』というのは、日常の生活、行為を突き詰め、技術として体に染み込ませ、さらに高めて『芸』になるのだと思うのです。一方『美』は技術がなくても自分の心が動き、他者の心が動かせればいい。『これってなんだろう?』そう思って、問いかけられることが美術なんじゃないかなと思うんです。」

佐塚さんの作品は「美術」というカテゴリに属すものだと考えているのだろうか、という問いに対して、彼は頷き返した。
「美術って今、一般通念としては視覚芸術、造形芸術を指し示す言葉とされているんです。確かに『美』心動くものは目という器官を通して伝えられることは多いし、情報も多い。でも、例えば、音楽を聞いていて心が動くこともあるし、人と話して心が動くこともある。そうやって心が動くもの、自分がおもしろいと思えるもの、それを僕は『美術』って呼びたい

佐塚さんを今の「彼」たらしめているものはなんだろうか。

影響を与えてきたものは何かを聞くと、一番はじめに上がってきたのは….

「やっぱり漫画家・鳥山明さんのドラゴンボールです。そういう世代でしたし。僕は漫画も絵画も同じく絵だと思っていたんです。美術館の中での絵と、漫画雑誌の中の絵とを、隔てて考えた事がなかった」

そして同じ並びに入ってくるのが、葛飾北斎、手塚治虫、柳田國男、南方熊楠、柳宗悦、シュリニヴァーサ・ラマヌジャン、パブロピカソ。浮世絵師、漫画家、民俗学者、博物学者、数学者、画家、とジャンルも国籍も時代もさまざま。

しかし佐塚さんはそこに自分なりの共通性を見出していた


「鳥山さんの、あの漫画に描かれている世界は、やっぱり、鳥山さんがこの世界であらゆる物事に興味を持ち、心動かしていたから描けたものだと思う。ここに挙げた人たちは皆、そういったこの世界のあらゆる物事に心を動かし、その心の動きを露わにして、他者の心を動かす術を使える、術者なんだと思う」

話をしていて絶えずたくさんの言葉が彼の頭の中に渦巻いているのがわかる。

言語を獲得することは、その社会の景色を獲得すること。いろんな人が見ているもの、感じている景色を理解するのに言葉ってすごい道具だなって思う。他者の言葉を通じて見える景色に絶えず興味があります」

佐塚さんはその溢れ出す言葉を一度、概念図として図式化している。

頭にある言葉を図として見えるようになってだいぶ整理できたという。

概念を図に落としていくことは彼の自分の定義を明確にしていく行為だった。

僕の中ではアート=美術ではない。それぞれの言葉からは違う景色が見えてくる。そして、僕にとってアートという言葉よりも、美術という言葉の方が、より深く遠いところまで連れて行ってくれる気がするんです。それは僕が日本語で考え話し生きてきたからだと思うし、漢字という景色を圧縮する言語が持つ面白さだと思います。でもカタカナのアートという言葉は、なんでも入る大きい風呂敷のようなイメージがあって、不思議な言葉だなと思います」

 

時間と空間と心

「この世界を作った人がいるとして、凄いなぁと感じるのは、時間、空間、そして心を作ったことだと思うのです」

佐塚さんは引き続き、哲学のような概念の話を語る。

ただ、聞き手側がそれを咀嚼すると、それは彼の興味と重なり、結果、それぞれの作品につながっているように感じる。

時間の概念はパフォーマンス作品の1つである「人間時計」に、空間(場所)の概念はこの「国立奥多摩美術館」に、そして心の概念は今まで描いてきた絵や実測図に。

もしかして、彼が思う“世界の凄さ”というものをいつの間にか彼自身は手にしているのではないか?

そう思い、概念ごと1つ1つ聞いてみることに。

2017年六本木アートナイト「24時間国際人間時計〜アジア編」/photo by Naomi Kakiuchi

「人間時計ってなんで生まれたんだったかな…」

下を向いて笑いながら佐塚さんは過去を思い返していた。

「人が見るものって何だろうって考えたました。『絵』って見る人もいれば見ない人もいる。でも時計だったらどこかにあれば見る。みんな時間という概念に属している!と思ったのがきっかけです」

2017年は六本木アートナイトでも「24時間国際人間時計〜アジア編」として、人が時計の針となって24時間を見せるパフォーマンスとして、話題を呼んだ。

「国立奥多摩美術館」についても成り立ちを聞くと、これには即答。

「あ、これは最初、ともちゃん(彫刻家・永畑智大)、うめちゃん(陶芸家・芳賀龍一)と一緒にこの場所を見つけたところから始まりました。もともと武蔵美の近くでルームシェアをしていたのですが、その場所がなくなることになって、それでもそんな状況を続けて行きたくて。都会から離れた場所で探していたらこんな大きな空間に出会いました」

国立奥多摩美術館 外観

東京は青梅市の青梅線軍畑駅から歩いて12分。普段は作家のアトリエとして活動しているこの元製材所は2年くらいに一度作品が立ち並ぶ「国立奥多摩美術館」として外に開かれる場所になる。この場所で佐塚さんは館長という役割を担っている。「国立奥多摩美術館」を起点に、様々な作品が生まれ、そして多くの作家やアーティストたちとの関係性を作っている様子は、佐塚さんにとっても大きな刺激になっているようだ。

そして今佐塚さんの心が動いていることは何かを聞いてみる。

『価値』とは何だろうと考えています。今の社会では『これには価値がある』と言うとすぐに『いくらなの?』というお金の物差しを当てられる。それが悪いことだとは思わないけれど、それ以外の物差しを提示できることは美術の1つの側面だと思う。私や自然よりも集団世界が強くなり、『お金』という物差しが強くなってしまっているだけに、それ以外の物差しを提示してみたい。」

新しい価値の創造。言葉だけを書くととても強い言葉に聞こえるが、佐塚さんの頭の中ではその言葉を分解し、自分の定義に落とし込んでいくのだろう。

 

他力を引き出せる自力

1985年、静岡県静岡市に生まれる。小学生の時亡くなった祖父は生前絵を描くことが好きで、「祖父が絵を描く」という風景が当たり前にある日常だったという。

佐塚さんも小さな頃から絵を描くのが大好きだった。中学、高校とスポーツをやりながらも美術部にも所属し、常に絵を描くという場所に身を置いた生活であった。それゆえ “美大に進学する”という選択は自分の中でも自然であり、家族の中でもそれを受け入れ認めてくれる雰囲気があったそうだ。

この日のインタビューは国立奥多摩美術館にて行なったが、トタンと木材を重ね合わせて屋根・壁・床が作られているため、秋が深まる11月上旬、山間部は気温が低くなっていた。

火を入れておくか。ストーブやっておくよ

このアトリエをシェアしている五十嵐さん(木工作家・五十嵐茂)が現れ、インタビューしている私たちと佐塚さんに寒くないかと声をかけてくれた。そして手際よくあっという間に薪ストーブに火を入れてくれた。

「五十嵐さん、すみません、ありがとうございます」

佐塚さんは五十嵐さんに向かってすぐに感謝の言葉を述べ、今日のこのインタビューの経緯を話し始めた。

「こんな機会をありがとうございます。よく聞いてやってください」

そんな風に私たちは五十嵐さんから声をかけられて、まるで佐塚さんの父親のようなあたたかな言葉かけに、思わず佐塚さんの人柄を思う。

彼はきっとこうやって実直に人と関係性を作ってきたのだろう。事実佐塚さんの作品は他者と関わって作っていることも多い。

先に挙げた「人間時計」も「国立奥多摩美術館」という場所も、佐塚さん単体だけで作り上げたものではなく、共に形作ってくれる人が周りにいることがわかる。

武蔵野美術大学在学時にも、住居であった「後楽荘」という場所を使って「3番GALLERY」という場所を友人と共に作った。

2015年吉祥寺のアートセンター・オンゴーイングでは「佐塚真啓の中」という個展が開催されたが、それは本人主催ではなく3人のアーティストが「佐塚プロダクション」と名乗り、この個展が生み出された

個展「佐塚真啓の中」

左から永畑智大・赤石隆明・小鷹拓郎

他を排し自力だけでやっている人って弱さがあるでしょう。一方、他力本願って言葉もありますが、自を失し他力に頼るだけでもダメで。自力と他力のバランスですよね」

このような考え方は、これからの時代のアーティストにあっていい新しい価値観なのでは、と思った。

“僕は何に特化しています”という自覚やその表現は、この美術・芸術の界隈で生きていくには絶対的に必要だろう。ただ、それだけよりも、他の特化している人たちといかに掛け算をしていけるか。自分が立っているからこそ人にお願いできるし、人と共に立ち続けることができる。そこでお互いのクリエイティブによって今まで見えたものとはまた違うものが創れる可能性があること。

いろんな人に自分は生かされているんですよ

佐塚さん自身が強烈な個性を持っていて、それでもなお、他者と共に前に歩むことを決めている。

自分と他者との共生という考え方と、それをつなげる人柄とに表れている。

 

佐塚さんの頭の中を今回、何%開示できたのだろう

目の前で飄々と笑う佐塚さんを見ていると、全部知った気になったような、それともまだ10%くらいしか理解していないような。

きっとこれからも作品や表現や言葉を通して、彼は何度でも伝えてくれるように思う。

そこで私たちは何度でも「美術」というものを改めて知る機会として巡り合うのだろう。

 

kakite : Chihiro Unno/photo by Yuba Hayashi/EDIT by Naomi Kakiuchi


佐塚 真啓/Masahiro Satsuka

さつか・まさひろ/1985年、静岡県生まれ。絵描き。

武蔵野美術大学卒業。東京都青梅市在住。

3番GALLERY企画。国立奥多摩美術館企画。

 

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