テクノロジーと日本の古典美を接続する【メディアアーティスト 落合陽一】

PLART編集部 2018.4.15
TOPICS

4月15日号

 

落合陽一(おちあいよういち 以下落合さん)さんは、技術とアートが融合した作品を多く生み出しているメディア・アーティストだ。筑波大学では准教授として自身のデジタルネイチャー研究室を主宰し、また学長補佐を兼務する、技術の事業化と産学連携の基盤構築のためにピクシーダストテクノロジーズ株式会社のCEOを務めるなど、その活躍はとどまる所を知らない。

4月20日からは、メディア・アーティストとしての落合さんの作品が一箇所に集まった個展が表参道のギャラリー「EYE OF GYRE」で開催されている。

タイトルは「落合陽一、山紫水明∽事事無碍∽計算機自然」

(※)読みは「さんしすいめい∽じじむげ∽けいさんきしぜん」。「∽」は数学で使用する記号で相似の意味をもつ。

華道家である辻雄貴(つじゆうき)さんとコラボレーションした作品《花木》の藤の小さな花々が揺れている。

超音波の振動によってシャボン膜の中で光が乱れ蝶が羽ばたく《Colloidal Display》。

そして展示室が映し出される大きな丸窓が、悟りや癒しといった禅や仏道の概念を用いた空間設計。

入り口では、自然とテクノロジーと日本の古典に通じるものとが、来場者を出迎えている。

photo by Yoichi Ochiai

 

寂びる、解像度が高くなる、本質に近づく、それでなお侘びる

会場に足を踏み入れる前に160cm高の開口部が見える。これが展示室への入り口となる。「にじり口です」と言う落合さん。展示室は茶室をイメージして作っているのだそう。その意図は、テクノロジー・アートから日本の伝統的な美を表現しよう、といったものだ。

「これまでもさまざまな試みがありましたが、未だテクノロジーを使ったメディア・アートと茶の湯や能といった日本的な美とはあまり接続していません。でも、テクノロジーを使って『これが日本の古典的な美です』と言ったとき誰もが理解できるような風景がつくれたら、その接続を納得して認められざるをえないだろう、と思っています」

そう言って例に出したのは、《Morpho Scenery》。

フレネルレンズを吊り下げ、実物の風景とレンズを通した風景とが視界の中に見える。レンズを通した風景は反転して見え、そこだけ違う空間に変換されたようにも見える。レンズはモーターで揺れているが、そのモーターの機械音がまるでセミの声のように聞こえる。

「ここに座って向こうの景色を見る。それがほら、水面みたいに揺れている。このゆらゆらと揺れているのを楽しむと、まるで波の世界のように感じられませんか

「《Levitrope》や《Silver Floats》は特に山紫水明(自然の風景が清浄で美しいさま)を意識していて、それぞれ水みたいな鏡面があって、そこにまわりの風景がくっきりと切り取られているのです」

日本庭園において”借景”という庭園外の自然物も風景として含ませて一体化させた景観の手法がある。まさにこの2つの作品は、鏡面仕上げされた彫刻作品と映像を使った借景のようだ。ひとつは球体、もうひとつは正弦波を組み合わせてつくった円筒形の立体。その立体物に映り込んだ風景をありのままに楽しむことができる作品だ。

《Levitrope》磁気によって浮遊する金属球が回転し続けて周りの景観を映し取る

総合電子部品メーカーTDKの先端をいく技術や製品を用いながら制作した《Silver Floats》の数々

 

事事無礙(仏教用語の事事無礙法界。この世界のすべてが妨げ合わずに共存し、作用し合っていることについてend to endと解釈しているんです。例えば《音の形、伝達、視覚的再構成》ではイルカの音を波に変換して視覚で捉えられるようにしていますし、《深淵の淵、内と外、人称の変換工程》は普通だったら目に入ってくる景色を意図的に見せています」

情報伝達や情報処理のプロセスが繰り返されることで、物事は本質化していく、というのだ。

大きな壁に写し出されたイルカの映像から流れる音が波に変換されている《音の形、伝達、視覚的再構成》

《深淵の淵、内と外、人称の変換工程》では、クローズアップされた様々な生き物の目を覗き込むと、その生き物が普段見ている風景が見える。

展示されていた作品のなかでもとくに印象に残ったのが《計算機自然、生と死、動と静》だ。これは一見すると蝶の置物が2つ並んでいるように見えるが、実は、はく製と模型が対になっている作品だ。聞けば蝶は世界一美しい蝶だとも言われているモルフォ蝶が題材になっているという。

「モルフォ蝶の青い羽の部分の干渉縞(干渉という光が重なり合うことにより生じる明暗の縞)は解像度が高いなと思うんです。しかし、モルフォ蝶のはく製を死んだ“蛋白”として考えると、動かせないんですよね。触れようとすると割れてしまう。僕が同じ形を創るとこんな感じだろうなと」

眺めていると、模型の方の蝶が羽ばたき出す。これによって、はく製の蝶の“死”と模型の蝶の“生”の対比が生まれるのだ。

はく製の土台に対する位置を決め、落合さんはそれを機材で再現し、シンプルなループする動きをプログラミングした。

僕が蝶を見た時の動きの理解をそのままプログラムに落とさないとあの動きにならないんです。動きの速度を測ってしまうと『測った感』がでてくる。それは美しくないなと思ってプログラミングしました」

そのままの蝶を表現するために、蝶を見てそのまま感じたことを形にする。

自然の風景に近づけていくことで、より「本物」に近くなる。これを落合さんは「解像度が高くなる」と表現しているさらに、落合さんはその“解像度の高さ”に計算機自然を見出し、“侘び寂び”の「寂び」だと形容している。そして、技巧を凝らしてもなお自然に近づけない人工物のほころびに侘びを見る。

複雑なものを複雑なままで理解するのがアートの本質だと思っています。整理をしないで理解する。それをどうやって表現するのか。そのギャップがおもしろいでしょう。アートは形にはするけれど、デザインをしないということが重要なのだと感じています」

今回の落合さんの個展のタイトルが表すように、自然そのものの美しさや日本の古典的な美は、本来はそれとはギャップを感じるテクノロジーで生み出す美とも融合できる。それらが相互に繋がりあい作用し合っているという状態が作品となっているのだ。

 

テクノロジーを使った日本の美とは

落合さんから見た、日本の美とはどんなものなのだろうか?

日本はギャップ美だと思っています。それがおもしろい」

僕は鹿威し(ししおどし)をつくることはないけれど、《Colloidal Display》を創るんですよね。動作、音、反復、映像、液体。動きを見立てれば鹿威しだとも考えられるでしょう。《Levitrope》は球体と風景と借景の関係を思考しているし、《Silver Float》も映像という窓による借景を変換する装置です。華道はしないけど工業製品を活けているような感覚です。水琴窟(※)は作らないけどプラズマを鳴らす。イルカの声も環境音にする。何も“日本古来の和”の要素はないんだけど、そう考えると確かに重なる部分がある、と思うんですよ」

(※)手水鉢の近くの空洞に水滴を落下させて音を反響させる仕掛けで、日本庭園の装飾の1つ

作品《虫鈴》の音についても「日本古来の何かが思い出される音」と表現する。この作品は、ガラス管のなかでプラズマを発音させ、虫の鳴き声を再現したものだ。時に発せられるキキキキという音に驚かされる。だが、不快感は感じない。

「耳に残るんですよ。ポポポポポとかバチバチバチって本質的に日本人が好きな音なのではないでしょうか。風神雷神とかもきっとそういう音だったのでは。お囃子もパキーンって良い音がしますよね」

作品を調整する落合さん

「音で言うと『プツン』や『パンッ』や、他にも『フワッ』といった擬態語で表せる。しかし調音でもないし二度と同じ音が鳴らない。そういった儚いであろうものをつかって創る美を古典美と接続したらどうなんだろうと思っていました。大陸にある永続性を持っていないという『日本』を改めて意識したら強いだろうな、と感じ、実際にやってみたら良かったんですよね」

つくればつくるほど日本的なものがにじみでてくる。

「表層に日本的なコンテンツを使わなくても日本的なものになってくるから自分はつくづく日本人だな』と感じています」

それを「そんな風になってしまうのはどういうことなのだろう」と思いながらやっている、という落合さん。制作することが感性の解像度を上げていく行為につながっているのかもしれない。

機械と生きものは相容れないという考えがあるなかでも、落合さんの作品のなかでは、この2つが共存・溶け込んでいるように感じるのは、作品のなかに日本古来からあるものや思想との接続を感じること、デザインではなく自然にどう沿っていくかという視点があるからこそ、異なるものが共存する違和感がないのかもしれない。

 

今に繋がる過去、これからに繋がる今

物の分解と絵を描くことが好きだった小さい頃

絵を描くことについても、小学生の頃、明治時代から続く日本の美術振興を支えたとされる日展の日本画家に水彩画を習っていたという。

同じ「手を動かす」という行為だが、一方は物を分解して構造を理解するという行為、もう一方は無いものを自分の手で自ら創り出す行為。落合さんは幼少期から、今の研究分野にそのまま繋がる行為をしていた様子が伺える。

自身でキャラが立ち始めたと思ったのは、研究とアートを始め、自らの表現を始めた大学の頃からだそうだ。

それから現在は年に60本以上のプロジェクトを手がけ、分刻みで動くスケジュール――。Twitterを追っていてもいつ寝ているのかわからないくらい。「落合陽一∽現代の魔法使い∽とにかく忙しい人」というイメージを持っているひともいるのではないだろうか。

ワーク・アズ・ライフ」と発言もしつつ、以前は全部自分で解決すると思っていたが、最近は意識に変化が訪れ「肩の力が抜けた感じがする」と言う。

「昔は、たいした金銭的な見返りもないのに誰かに手伝ってもらっても申し訳ないなと思っていたんですけど、お互いのキャリアになるいい仕事ができることもある。学生さんなら手伝ってもらったほうがその人にとって勉強になることもある。複数の専門家でコラボしたほうがおもしろいものをつくれることも多いですし。気を使わなくても人に手伝ってと言えるようになりました、素直にありがたいな、と」

会社の業務も回りはじめたことで、チームで解決すればいいこともあると思うようになったそうだ。

もちろん、落合さん自らがやらなければいけないこともある。

物の形や技術や素材や最後の見え方を決めるところは自分がやらなかったら、たぶん誰もやってくれないし、そこが自分と離れるとブレてなぁなぁな物ができてしまうでしょう。それがわかっているから、人に頼むか自分がやるかの線引きをちゃんとして、力を入れるときは頑張るし、力を入れないときはゆったりする目の力と手の力を鍛えていかないと止まってしまう。二足の草鞋は時間がかかる。手の技が下手なのは自覚しながら、それでも自分でやらないとブレるところは自分で作るんですよ

そういった経緯もあるのだろうか。インタビュー中、落合さんは「最近肩に力をいれないで生きていけるようになったので仙人になってしまいたいと思うときもある」と言っていた。相手と話しをしているとまるで禅問答のようだと言われることもあるそうだ。

お気に入りの僧侶は一休宗純(いっきゅうそうじゅん/室町時代の臨済宗大徳寺派の僧であり詩人)だそう。とんちの「一休さん」としてアニメなどで私たちにも広く親しまれているが、実際は髪の毛を剃らず、ボロ布のような服を身に着け、ドクロに杖を刺して歩く破戒僧だったということはあまり知られていない。

一休宗純は、『頭を丸めている僧のほうがあざといよね』と言っていってしまうような人で。逸話では、死ぬ前にいったひと言が『死にとうない』だったようです。変な逸話がいろいろ残っていて滅茶苦茶におもしろく、今残る文献を読んでも非常に手強くて、なかなか理解させてくれないんですよ」と楽しそうに語る。

仏道だけではなく詩や書画などにも親しむ多様な働き方、当時の時代風習や戒律、形式にとらわれることがない型破りで奇抜な生き方、そして圧倒的な遊び心を持つ。目の前で話す落合さんと一休宗純が重なるようなところも多分にあるのではないかと思ってしまう。

落合さんからは、まるで脳と口が直結しているようにポンポンと言葉が飛び出してくる。連想の速さと多さ、異なることをつなげる力、知識の多さに、素直に興味のあることを突き詰めてきた様子が伺え、最新のテクノロジーを駆使している人であるにも関わらず、何度も日本の過去に立ち返っている様子を受ける。

 

今回の個展の軸でもあり落合さんからも何度も言葉が上がった「本質とは何か」。物事をそのまま受け止め、理解する。それを繰り返し行ってきた落合さんが今後、その技術をもってどこまで行くのか、どんな世界を見せてくれるのか、それを考えただけでワクワクする。

 

kakite by Asami Matsumoto / photo by Mika Hashimoto(提供画像除く) / Edit by Chihiro Unno /direction by Naomi Kakiuchi


落合陽一/Yoichi Ochiai

1987生,メディアアーティスト.2015年東京大学学際情報学府博士課程修了(学際情報学府初の短縮終了),博士(学際情報学).日本学術振興会特別研究員DC1,米国Microsoft ResearchでのResearch Internなどを経て,2015年より筑波大学図書館情報メディア系助教 デジタルネイチャー研究室主宰.同年Pixie Dust Technologies, Inc.を起業しCEOとして勤務.2017年よりピクシーダストテクノロジーズ株式会社と筑波大学の特別共同研究事業「デジタルネイチャー推進戦略研究基盤」基盤長/准教授.筑波大学学長補佐,大阪芸術大学客員教授,デジタルハリウッド大学客員教授を兼務. デザイン誌Axisやメディアアートの論文誌Leonardoなどのデザイン・アート系雑誌の表紙や,英国Nature誌の増刊研究調査報であるNature Index 2017の表紙を飾るなど,国内外を問わず雑誌・テレビ・ラジオなどメディア露出も多数.国内外の大学やTEDxTokyoなどシンポジウムでの講演も多く,半導体技術の大規模カンファレンスであるSEMICON Japanでは40年の歴史の中で史上最年少で基調講演を務めた.グループ展では「Ars Electronica Festival」「SIGGRAPH Art Gallery」,「県北芸術祭」や「Media Ambition Tokyo」などに参加.過去にSekai No OwariやDom Perignon, Lexus, TDK,ONE OK ROCK, カナヘイ,Sword Art Online劇場版などの作家やアーティスト,ブランド,イベントなどでコラボレーション作品の制作や演出を手掛け,トヨタ・アイシン精機・デンソー・BMW・富士通SSL・電通・博報堂・ADKなど多くの事業者との制作・研究開発を行なっている.


展示情報 

「落合陽一、山紫水明∽事事無碍∽計算機自然」

会期:2018/4/20-6/28 11:00-20:00(会期中無休)

会場:EYE OF GYRE / GYRE 3F https://gyre-omotesando.com/

住所:東京都渋谷区神宮前5‐10‐1

入場無料

 

取材フォトギャラリー



FACKBOOK PAGE LIKE!
ART
×

PEOPLE

ヒト、アーティスト

PLACE

場、空間

THING

モノ、コト