古きを温ね、革新を知る【アーティスト 舘鼻則孝】

PLART編集部 2017.9.15
TOPICS

9月15日号

 

これまで日本のファッションデザイナーが世界的なアーティストの衣装に携わった話はいくつか挙げることができる。

かつてファッションデザイナーの山本寛斎が、ロック歌手のデヴィッド・ボウイの衣装を手掛けたことは有名な話だ。

そして、近年にもう1人・・・

2010年、日本人アーティストが世界的な歌手「レディー・ガガ」の専属シューズメイカーになったと報道され、その情報は瞬く間に世界中を駆け巡った。

世界中から注目を浴びた日本人、それはアーティスト舘鼻則孝(たてはな のりたか)さん。

彼が東京藝術大学在籍中に卒業制作で発表した「ヒールレスシューズ」はレディー・ガガの専属スタイリストの目に留まり、若干24歳でこの鮮烈な快挙に繋がったという。江戸から明治期の花魁文化に着想を得て制作した「ヒールレスシューズ」

8月に表参道ヒルズで開催された舘鼻さんの大規模な展覧会「舘鼻則孝 リ・シンク展」は、彼の最新作品とともに、江戸時代の花魁文化に着想を得て制作したレディー・ガガ愛用する「ヒールレスシューズ」をはじめ、過去から現在までの作品遍歴を辿るとともに、そのインスピレーションソースとなった花魁の浮世絵や写真等も作家所蔵品として公開された。

「リ・シンク展」展示会場

「今でも西洋のファッションに憧れている」と話す舘鼻さんは、なぜ日本の古き文化にスポットを当て作品を制作したのか。

 

「0から1へ」生み出すことを学んだ幼少期

舘鼻さんは1985年に東京に生まれ程なくして鎌倉で暮らすことになる。海や山など自然豊かな環境で過ごした幼少期の記憶をたどり「今の自分を形成するために重要な期間だった」と話し始めた。

「鎌倉の観光名所として有名な長谷寺の近く、光則寺が営む長谷幼稚園に入園しました。そこは、とても自由な幼稚園で、その自由さは園児を見守るということなんですよね。例えば僕が草むらに座り込んでずっと虫を探していると、先生は『なにしてるの?』とか『みんなで遊んでるから行こう』と声をかけるわけではなく、ずっと隣に座って見守っていてくれるんです

園内には金づちやノコギリなど工具類が豊富で思いのままに木材を使い組み立てることもできる。友達と遊びたいときは、自分からまわりの子に声をかけ一緒に過ごすこともできる。

一見すると、放任し過ぎてなにも学べないと思うかもしれない時間は、「個性や協調性を育み、自然とコミュニケーションが生まれる環境として非常にデザインされていると思った」と舘鼻さんは振り返る。

 

そして、もうひとつ幼少期に重要だった要素がある。それは舘鼻さんの母の影響だ。

「僕の母はシュタイナー教育のウォルドルフ人形を作っています。シュタイナー教育は多くのことを五感で感じ取る教育で、幼稚園で経験した『じっと見守る』環境は、母の考えやシュタイナー教育に近しいものでした」

いつも母は好きな物や欲しい物は自分で作りなさいと舘鼻さんに伝えた。なので彼は遊ぶために、おもちゃ作るとこからスタートしなくてはいけない。

「デパートに行ってもおもちゃは買ってくれないんです。全部手作りでおもちゃでしたね。母のアトリエには人形を作るための材料や道具がたくさんありました。人形をひとつ作るにしても、刈り取られた羊毛を脱脂するところから始まります。糸を紡いで少しずつ形作る工程を一通り見ていたので、素材が形を変えて作品になるという現場を目の当たりにして育ちました。その頃からものづくりは自分にとってのコミュニケーションのようなことなんですよ」

誰かに教えられるのではなく、自らが感じ考え学び創る

その創造こそ舘鼻さんが幼い頃から培った才能だった。

鎌倉での自身の体験から着想したという椿の作品【Camellia Fields (2017)】

 

中学に入ると部活動のテニスに夢中だったが、相変わらず美術は得意で作ることは好きだったという。高校受験が近づくにつれ、将来を考えるようになり、美術を学べる高校への進学を考えたが、内申点が足りず普通科に通うことになった。

おぼろげなから美術の道を志すようになった舘鼻さんの気持ちを汲むように、舘鼻さんの母は美大受験の予備校パンフレットを彼に手渡した。「パンフレットを開くと上手なデッサンが載っていて、こんな美術の世界や高みがあるんだ」と刺激を受け、高校入学前の春休みに予備校の入学を決めた。

「その時は美術のことについて全く知識がありませんでした、僕はリテラシーの高い少年ではなかったので、美術家といえば画家か彫刻家くらいしか知らず、デザインとの概念もなかったんです」

 

ファッションを通じて、自国の文化を知る

美術予備校に通っていた高校1年生の時、たまたま目にしたファッション誌が舘鼻さんの人生を大きく変えることとなる。

「家の近くにコンビニができたとき、初めてファッション誌を読んだんですよ。その途端に『こんな世界があるのか』と衝撃を受けたんですよね。それをきっかけにファッションが好きになったんです。そして、予備校で作品を制作していることもあり、ファッションに対して、鑑賞者の目線から制作者の目線になっていったんです。その目線になってからはウィメンズのファッションにも興味を持ち、初めて雑誌VOGUEを読んで、こんなきらきらした世界に行ってみたいと思ったんです」

それからというもの、西洋文化の憧れが膨らんでいく。きらびやかなファッションの世界。彼は高校2年の時、ファッションデザイナーになるためにヨーロッパへの留学を考えた。

「世界で活躍するファッションデザイナーになりたかったんです。だから、ファッションの本場・ヨーロッパで学ぶ事が一番近道だと考えたんです。だけど冷静に留学をした自分を想像してみました。

フランスに行ってオートクチュールの専門学校で学ぶとした場合、その学校でフランス人は自分の国の文化を勉強してるということじゃないですか。そう考えると日本人の僕が外国に行って外国の文化を勉強したとしても彼らのようにはなれないと思ったんですよ

自分の武器は外国の文化を身に付けることではなく、もっと自分にしかできないことがあるのではないか。考えを突き進めたとき、彼は日本にも独自のファッションがあることに気付いた。それが着物だった。

【Kimono for TATEHANA BUNRAKU (2016)】

 

「着物をはじめ日本のファッションの源流となる日本の文化や伝統を学べる場所はどこだろうと考えた末に、それらの学びに長けている東京藝大が一番自分に適しているなと思いました。それで留学を考えることはやめて、東京藝大の工芸科の染織専攻に行こうと決めました。日本文化のプロフェッショナルになって、海外で活躍することを目指しました

そして、2浪し東京藝術大学に合格。

「予備校には5年間生徒として在籍しました。本当に受験は大変だったので一緒に美大受験に挑んだ友達は『戦友』って感じです。美大に合格した後も4年ほど予備校で講師をしたので、計9年、自分の人生の3分の1はこの予備校に関わっています。ここで築いた人間関係は、今でも自分のことを支えてくれるかけがえのないものですね」

 

 

大学では日本独自の歴史や文化について掘り下げていく過程で、日本に西洋文化が押し寄せた時代、ターニングポイントである明治時代に注目した。

「花魁をはじめとする明治時代の前衛的な文化が気になりました。当時、花魁は浮世絵にも描かれるくらい注目をされているものだったのです。浮世絵は現代で例えるならファッション雑誌のようなもの。そのような文化は現代でも新しい価値観を生み出すヒントになるのではないかと考えるうち、その過程で、卒業制作に発表した『ヒールレスシューズ』が生まれました。僕は靴を作るプロではなかったので既成概念を崩し変幻自在に制作できたと思います」

前記のように「ヒールレスシューズ」で一躍ファッション業界から注目された舘鼻さんだが、ファッションアイテムではなくアート作品も精力的に制作している。

「表現する媒体として何を選ぶかで訴求力の域や対象が変わってくるので、靴など身に付けられるものだけではなく、もっと、多様性が必要でした。発表の仕方や表現方法によって作品が届く域は変わってきます。その限りをつけてしまうのはもったいない気がしたんですよ。だから自分が発信したい内容にあわせてフォームを変えることが重要な気がします

 

【Heel-less Shoes (2012)】

 

アイデンティティをたどることは、自己形成のプロセスになる

西洋のファッションに憧れを抱いた少年は、いつしか自己を構成する要素でもある日本独自の文化を見つめ直し、現在も新しい価値観を表現し続けている。

「今は環境や空間に非常に興味を持っています。作品のみ発表するだけではなく、空間とともに体験してもらうことでより作品の意味や背景を読み取ってもらうことが重要だと思っています」

「別に僕を知らなくてもいいし、これがなんの展覧会なのか分からなくてもいい。この場所を通して日本の文化を知るだけでも面白いと思ってます。僕を通して、日本を見つめ直すきっかけになったら嬉しいですね。

今回の展覧会のタイトルにもなっている『リ・シンク』(RETHINK)とは、自分の事を見つめ直すこと。自分のアイデンティティをたどることは、自己形成のプロセスでもある。そして、僕の場合は創作のプロセスでもあるんです」

 

最後に

 

最後に舘鼻さんに「若い世代が自分で考えたり行動したりする力が薄れていると言われることをどう思うか」と質問をしてみた。

「僕の卒業制作をレディー・ガガが履いてくれた話はとてもすごい出来事のように聞こえるけど、実際はメールを送っただけです。お金も掛からないし誰でもできることですよね。だけど、実際には100通くらいメールを送ったんです。要するに100通くらいメールを送らないと成功にはたどり着けなかったんです。重要なのは、そこまでやれるかどうかってこと。結局、結果は自分が行動した行為でしかないんです。

目標を持ちそこにたどり着くまで諦めず、チャレンジするか・・それだけだと思います。アメリカンドリームではないですけど、行動したらたどり着ける場所はあるような気がしますよね」

クリスマスプレゼントとしてレディー・ガガへ贈った作品【Heel-less Shoes “Lady Pointe” (2014)】

このインタビューを通して感じること、それは、舘鼻さんが幼少期より今に至るまで共通していることは「考えること」「創り出すこと」であること。

自由な発想を持ち個性が大切だと各方面で聞かれる世の中だが、それを実現させるためには、大人がレールを敷いてあげるのではなく、子どもが行き先を決め、慣れない金づちやノコギリを使いながら自らの手でレールを作ることだと感じた。

 

kakite : Hiroyuki Funayose / photo by Mika Hashimoto / EDIT by PLART


舘鼻則孝/Noritaka Tatehana

1985年、東京生まれ。歌舞伎町で銭湯「歌舞伎湯」を営む家系に生まれ鎌倉で育つ。シュタイナー教育に基づく人形作家である母の影響で幼少期から手でものをつくることを覚える。東京藝術大学では絵画や彫刻を学び、後年は染織を専攻する。遊女に関する文化研究とともに日本の伝統的な染色技法である友禅染を用いた着物や下駄の制作をする。近年はアーティストとして、国内外の展覧会へ参加している。2015年12月に和敬塾本館で開催した「舘鼻則孝:面目と続行」展では、JT(日本たばこ産業株式会社)の「Rethink」の考えに共鳴し、日本各地の伝統工芸士とともに制作した現代的な煙管作品「Theory of the Elements」を発表した。 2016年3月には、仏カルティエ現代美術財団にて人形浄瑠璃文楽の舞台を初監督「TATEHANA BUNRAKU :The Love Suicides on the Bridge」を公演した。作品は、ニューヨークのメトロポリタン美術館やロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館など、世界の著名な美術館に永久収蔵されている。



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