【連載】アートがビジネスにくれるもの vol.4「エンターテインメントとアートの架け橋になる」 株式会社れもんらいふ 千原徹也

PLART編集部 2017.8.15
SERIES

8月15日号

連載「アートがビジネスにくれるもの」とは?

昔から、あこがれのビジネスマンには、アート好きな人が多かった。

その共通点はなんだろう?

それは、「人と違う視点を持っていること」ではなかろうか。

ゼロから生まれてくるアートが好きで、そして、自分も新しい価値を創る。

未開拓のシーンに挑戦するビジネスマンに憧れを持ち、少しでも近づきたくて、僕らは働く。

その人にはなれないけど、アートを通して同じ視点を取り入れる事は出来るかも?

アートには「新しい価値を生み出すヒント」がきっと、あるから。

 

異なる分野とされがちなエンターテインメントとアートをつなぐ架け橋として、独自の世界を描き出す株式会社れもんらいふ代表の千原徹也(ちはらてつや)さん。

世の中の多くの人を喜ばせるエンターテインメントと、世の中にあたらしさを提示するアート。そこにグラフィックデザインの下地と、独自のエッセンスが加わって、たちまちその仕事はれもん色に染まる。

業界内でも唯一無二のアートディレクションの裏側の秘密に迫った。

 

千原徹也とアートの出会い。ある人の発想力に感銘をうけた。

大きな黒縁のめがねに、金髪ヘアー。

渋谷と恵比寿の間、雑居ビルに秘密基地のようなオフィスを構える株式会社れもんらいふの千原徹也氏だ。

雑誌『装苑』や関ジャニ∞、桑田佳祐などのアートディレクションに携わり、ここ数年のクリエイティブ業界で話題の存在となっている。

穏やかな話し声の向こうに見える、アートへの思い入れ。

アートディレクターとして、そして自身もひとりのアーティストとして活動を続けている千原さんの、「アートとの出会い」は中学生のときにまで遡る。

「アートって、大人にならないと、これがアートだったのかとはわからないですよね」と前置きし、こう続ける。

「最初にアートに触れたのは中学生の頃です。伊丹十三(いたみじゅうぞう ※)さんのマニアだったことがきっかけです。当時、『アート・レポート』という美術番組が放送されていたのですが、その番組の放送作家として伊丹十三さんが活躍されていて、そこで初めて存在を知りました」

『アート・レポート』とは、テレビ朝日で放送されていた美術番組だ。

アンディ・ウォーホルの作品を街の質屋に突然持ち込み、「絵ではなく印刷だ」と話す店主に、アンディの作品の素晴らしさを解説したり、生放送でアーティストが何もせず座っているだけの放映をし生電話で苦情を受け付ける企画を設けるといった、異彩を放ったプログラムで1970年代当時、巷で話題となっていた。

「伊丹十三さんの発想力はすごいな、と思っていました。それに今思うと、アンディ・ウォーホルを知っているのも、当時のそういったアート関連のテレビ番組を観ていたからです」

千原さんは古本屋さんで全てのエッセイや映画まで買って読むくらい、伊丹十三の大ファンだったという。

奇抜な発想に魅せられた少年は、社会人となり、デザインの道を志した。

(※)伊丹一三・・・日本の映画監督、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター、CMクリエイター、ドキュメンタリー映像作家。

アートは「答えが出ないもの」と「新しく定義をつくるもの」

時は流れ、デザイナーとしてのキャリアをスタートした千原さん。
その時はまだ、自分の中のアートの定義は確立されていなかった。

「必死にデザイナーとしてアシスタントをやっているときは、アートの概念を考えるような余裕もなく、とにかく一日一日をクリアしていく日々でした」

昔を懐かしみながら語る千原さん。

「アートとは何か」という考えまでたどり着いたのは、れもんらいふとしての独立後だったという。

「れもんらいふを創業したときに、ふと自分のやってきたデザインとアートの違いってなんなんだろうと、疑問が湧きました。アートとは、日本のイメージでは、『お金持ちが売買するもの』とか『お金に余裕があれば買えるもの』というものだったんです。ですが、その後、『アートの世界ってなんなのかな』と思っていたときに、なんなのか考えていること、そのものがアートなのでは?』と考えるようになりました」

千原さん曰く、アートとデザインの大きな違いは、「クライアントの有無」

デザインにはクライアントがいるため、明確に答えを出さないといけない責任感が伴う。

一方で、クライアントの存在しないアートは「ここから先は考えてください」という提案を行うことができる。すなわち、「今は存在しない新しい定義」をつくっているものがアート”という解釈だ。

「答えを見出すことができず、いろいろな疑問が湧く。その疑問がアートであり、そこにアートの究極的なの面白さがあるのかなと思います」

さらに、千原さんには、新しい定義をつくるアートについて深く考える機会があったという。学生限定のアート&デザインコンクール「学展」の審査員をしたときのことだ。

「中学生より上の子たちの描く絵の発想力がつまらないと感じたんです。絵は年齢が上がるに連れて上手くなるけど、被写体がおもしろくないな、と。そんな中、もっと小さな子どもたちの絵を見てとても刺激を受けました。そのテーマで『これを描くの!?』みたいなものを、普通に描いたりするんです。僕が選出した審査員特別賞は、幼稚園の子の作品でした。『かくれんぼ』というタイトルなのに、描いてあるのは風景でした。普通、かくれんぼって人が行う遊びなので人が描かれそうですが、自分が隠れている時に見える風景だけを描いていたんです。おもしろいですよね」

子供の柔軟な発想力や、感性の偉大さをここで体感したという。

 

れもんらいふっぽさを追い求める経営

ここで、話題は会社としてのれもんらいふの立ち位置へ。

「僕にとっては、『れもんらいふ』という定義があって、そこが自分のプチアートになっているような感じです。自分たちが生業としているグラフィックデザインの会社は世の中にゴマンとあるけれど、企業が求めている通りそのままで作るよりも、そこに『れもんらいふ』のエッセンスを加えたいんです

ほかのデザイン事務所ではなく、この案件をれもんらいふならどう調理するのか。

 

多くの依頼をクライアントの希望通りに引き受けることができれば、会社の仕事は必然的に増えていくだろう。ところが、千原さんは、れもんらいふらしさを求めてくれることを軸に引き受けるべき仕事を決めているという。

キムソンヘの作品

「こうしていると、デザインの表現の数は自ずと絞られてくるし、れもんらいふらしくない仕事の依頼は来なくなります。

でも僕は、全くらしくない要素の仕事でもうまくれもんらいふ色に染めていくこともはできると思っているし、それこそが、れもんらいふだからこそ提供できる価値なんです

千原さんのインスピレーション源は、音楽アーティストから受けることも多い。

そして、千原さんの『今』は、千原さん自身が今回初めてアートディレクションを担当した、国民的アーティスト サザンオールスターズの桑田佳祐さんからも影響を受けたという。

「昔、桑田さんが言っていたことが心に残っています。『サザンはみんなのものなので、ここではみんながエンターテインメントとして求めるサザンを作る。それも、求められる範囲の中で時には期待を裏切りながらバランスをとって。それに対して、ソロ名義では、あくまでも桑田佳祐が作りたいものを作る───』

れもんらいふも考え方は近くて、『れもんらいふっぽい良さを、クライアントが求める範囲でどう作っていくか』ということを考えています。複数の案があれば、どれが一番れもんらいふっぽいかを見て決めることもあります」

『かわいいと、変と、新しいを混ぜると、れもんになる。』

れもんらいふらしさを象徴したキャッチコピーが、ふと胸に留まる。

「エンターテイメント」がキーワード

れもんらいふのキーワードには、エンターテイメントがある。

ひとつのものに対して、たくさんの人と感動を共有できてなんぼです。それが音楽や、映画等を初めとしたエンターテインメントの良さだと思っています。アートってものは、ある意味ではエンターテインメントの真逆だからこそ、良きライバルのような関係でもあります」

千原さんは、アートにもデザインにも「エンターテインメント」をキーワードにそのエッセンスを取り入れる。

一見、関わりの無いように思えるこれらの繋がりは、一体どこにあるのだろうか。

「小学生の時はスピルバーグが大好きでした。あとは子どものころ、映画のメイキング本を買ったんです。ちっちゃい頃から、完成品よりメイキング映像なんかが好きでした。映画のひとつのシーンのセットのラフ画とか、ロゴのボツ案や制作過程とか、みんなが喜ぶものを作るために超一流の人が、裏方を全力でやっている光景を見て、そのエネルギーに勝るものはないと感じました」

また、アートディレクターとして携わった関ジャニ∞のアルバムからも、エンターテインメントとアートの繋がりが伺える。

「関ジャニ∞のアルバムジャケットでは、15人のアーティストに声をかけて一曲ずつ歌詞カードをアートにしました。

アートをエンターテインメントにして、エンターテインメントもアートにしたんです。

サブカルと呼ばれるアートと、一般大衆的なエンターテインメントをうまく結びつけられるようになりたいと思っています」

 

れもんらいふと千原徹也の未来図

赤松陽構造さんの作品

千原さんの行動の原動力は一体どこにあるのだろうか。

心に留めている千原さんの思いを伺った。

「昔から、オカンと弟を自分が支えないとと思っていたんです。そのために、高校を出たら自宅近くの工場へ就職しようと思っていました。でも、それを話すと、オカンに怒られたんです。『わたしのための就職ではなく、自分のやりたいことをやってほしい』と…。

小さい頃、オカンは僕に絵を描く仕事についてほしいと話していたので、それならオカンの夢を叶えようという想いが湧いてきました。夢を持って東京に出てきて、案外オカンの求める方向にいく様に頑張っているのかもしれません」

28歳という決して若くはない年齢での上京。苦労は沢山した。

夢を追いかける千原さんの心の中には、家族への深い愛情を感じられた。

「オカンは自分の仕事に興味ないふりしてるのかもしれないけれど、さすがに有名なテレビ番組の仕事は『スゴイ!』と喜んでくれました。桑田佳祐さんとのお仕事も、今ちょうど放映されている朝ドラ(NHK連続テレビ小説『ひよっこ』)のテーマ曲が入っているアルバムの仕事だと知ったら、驚いていました(笑)決して情報に敏感でない層のオカンに知ってもらうという意味でも、エンターテインメントの世界で広く見てもらいたいという想いがありますね」

「実は、昔からサザンオールスターズや桑田佳祐さんの仕事することが、一番の目標でしたが、叶ってしまいました」

頬を緩める千原さん。

「去年の秋に2時間ほどの長いプレゼンをし、桑田さん側の担当の方に『僕よりも詳しいですね』と言っていただいて(笑)その後、お声がけいただいて、目標だったアートディレクションを担当することができました」

最後に、「千原徹也」としての今後を伺った。

大きな目標としては『れもんらいふ=千原』ではなく、れもんらいふの創設者になりたいです。というのも僕は、50歳くらいになったら映画がやりたいんです。伊丹十三さんが50歳で映画監督を始めたという理由なんですけど、ハタチくらいのときからの目標で、脚本も、もう数年前に作り始めていて、日に日にパワーアップしています(笑)今のところ、青春ものの映画になる予定です

若かりし千原さんの情熱に火を付けた伊丹十三は、まだ彼の心の中を灯し続けているようだ。

アート、デザイン、エンターテインメント……バラバラのようで、れもんらいふの中でひとつになる要素。

れもんらいふの本質にあるものは「多くの人が共有できる楽しさ」であり、生まれたときから持ち続けている人間本来の欲求に近いものなのかもしれない。

千原さんが抱き続けるシームレスな世界。それこそが、私たちが待ち望んでいる未来なのかもしれないという思いが、フッと頭をよぎる。

 

kakite : 鈴木しの/photo by BrightLogg,Inc./EDIT by PLART

 

ー取材後記ー

取材後、桑田佳祐さんのアルバムが発売された。

街に張り出された千原さんデザインのポスターを見つけ、胸が熱くなった。

0から始まり、苦しくても辛くても諦めず1歩1歩進んだ先に大きな目標を叶えていくのだ。そこには自分の小さな頃の「楽しかった」ことが純粋に詰まっているのかもしれない。(kaki)


千原徹也  / Tetsuya Chihara

アートディレクター/株式会社れもんらいふ代表
1975年京都府生まれ。デザインオフィス「株式会社れもんらいふ」代表。広告、ファッションブランディング、CDジャケット、装丁、雑誌エディトリアル、WEB、映像など、デザインするジャンルは様々。近作では、桑田佳祐 アルバム「がらくた」のアートディレクション、関ジャニ∞ アルバム「ジャム」のアートディレクション、ウンナナクールのブランディング、小泉今日子の35周年ベストアルバム、装苑の表紙、NHKガッテン!ロゴ、adidas Orignalsの店舗などが知られている。
さらには、サインペンを使用してキャンバスに描くアート活動、iTunesでのラジオ配信、京都「れもんらいふデザイン塾」の開催、東京応援ロゴ「キストーキョー」デザインなどグラフィックの世界だけでなく活動の幅を広げている。
www.lemonlife.jp



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