文化を乗せて地域を巡る、現代の北前船を目指して【GRAYSKY project/surmometer代表・山本加容】

PLART編集部 2018.2.15
TOPICS

2月15日号

 

日本海地方と聞くと、荒々しい冬の海のイメージが浮かぶ。暗く、冷たく、静か。だが、海産物や日本酒、発酵食など、食が非常に豊かな地域だ。かつては船や陸路を使って、それらの食が都市圏に運ばれてきた。同時に、文化も伝わり、その土地に根付いてきた。古くからモノの行き来を通して人は新しい誰かと出会い、そこから新しいモノ・文化が生まれてきたわけだが、今日、山本加容(やまもとかよ 以下山本さん)さんはこの日本海地方を中心とした郷土の魅力を広げ、つくり手と人々をつなげるGRAYSKY project(グレイスカイプロジェクト)を主宰している。今回は、なぜそのようなプロジェクトを始めたのか、その根底には何があるのかを伺った。

 

日本各地の手仕事を一同に集める

山本さんと宇野さんが経営している民藝の器を中心に扱うギャラリーショップ「SML」にて話を伺った。ここは山本さんらが主宰するsurmometer(サーモメーター株式会社 以下surmometer)の実験室であり、モノづくりに関する価値観を試行錯誤する場所として、”これからも続いてほしいモノ、デザイン、機能、アイデア”を提案していくことを主軸にしている。

Photo by Naoto Takano

民藝の流れを汲む陶磁器から木工や吹きガラス、床には大きな鉢などが所狭しに並ぶ店内からは、まるで田舎の祖父の家の蔵に迷い込んだかのような、土の温かな匂いがした。そんな素敵な店舗の一角で、スタッフさん手作りの焼き菓子を頂きながら、山本さんに話を伺った。

初めに山本さんが見せてくれたのは、瀟洒(しょうしゃ)なカレンダーだった。

GRAYSKY projectのオリジナル和紙カレンダー「紙漉きを想ふひととせ」である。全国の和紙、それも手漉きのものを産地別に選りすぐり、一同に集めたこのカレンダーは、第68回全国カレンダー展において、最高賞の経済産業大臣賞を受賞した。一枚一枚丁寧に漉いた和紙は、それぞれ色も厚みも手触りも異なる。日本に残った数少ない手漉き和紙の担い手からのメッセージも添えられており、和紙をめくるたび、触れるたびに、つくり手の手と触れているような気にさせる、そんな人の温もりを感じるカレンダーである。

この作品は彼女が主催するGRAYSKY projectの一部である。まずは彼女のこれまでの物語を語ってもらい、なぜ日本の文化を継承するような活動をしているかを追っていく。

 

日本海に生まれ、日本海に還る

山本さんは石川県金沢市に生まれた。父親は地方公務員で、母親は家で洋裁を営んでいた。彼女いわく「父は生まれてこのかた恥ずかしいと思ったことがない人」で、お店の店員さんに躊躇なく話しかけたり、周りに小さないたずらをするのが大好きな好奇心の塊のような人だという。そんな父親に連れられて、よく美術館や知人の展示に行っていた。

「当時はアートと思ってなかったけど、美術館とか、百貨店とかでやっているような父の友人の美術や書道の展示によく連れてってもらいました。金沢21世紀美術館ができるまでは、本当に伝統的な、古典的な展示が多かったのです」 

一方、知人からオーダーをうけて洋服を作っていた母は、山本さんにもよく手作りの服を作ってくれた。

「今思えば、ボタン屋さんや生地屋さんに連れて行ってもらったことはとてもいい経験でした。でも、子どもの頃は母の手作りが恥ずかしかったんです。母の服を作った余りの布で私のを作っていたので、必然的におソロになってしまって。友達に会うと『あー見ないで!』って(笑)。なので、当時は既製品にあこがれていました」

そんな地元や手作りのものにそれほど興味が持てなかった金沢時代を経て、山本さんは大学進学を機に上京する。東京学芸大の家庭学科に進学し、そこで衣・食・住に関するあらゆることを学んだ後、インテリアに携われる不動産会社に就職した。しかし、提案できるインテリアの幅の狭さから、インテリア雑貨の会社に転職。その後もスタイリングの仕事や、VMD(ビジュアル・マーチャンダイズ)のプランニングと、場所を変え表現の幅を広げてきた。

「スタイリストとして一生懸命やるんですけど、実際に出来上がってくる書面を見るたびに悲しくなることが多かった」

手書きで指示したものと完成品が、自分の意図したものとズレていることは多分にあった。

自分の思い通りのものが作れないことに悔しさを募らせた山本さんは、AD(アート・ディレクター)になれば自分がイメージするものができるのではないか、と考えた。そこからグラフィックをほぼ独学で学び、フリーのグラフィックデザイナーを経て、surmometerを起業することになる。

起業のきっかけは、雑誌立ち上げの企画をもらったことからだった。

「1ページの制作費5万円で仕事を頂いて。当時は企画ができるんだったらやりたい!と思ったのですけど、100ページも一人じゃ無理だ!と思い(笑)。そこで誰かいないか聞いたら、友達が宇野を紹介してくれたんです。ライターの友人と3人で合宿みたいに篭ったりしながら、半年ほどかけて仕事を完成させました。そのメンバーでまた何かをいっしょにつくりたい!と思ったのがきっかけでした」

 

これがsurmometerの始まりである。

surmometerとして走り始めてから、食器メーカーKINTOからマグカップのプロダクトデザインの話がきた。その仕事をしているうちに、実際に自分たちがつくったものに対してお客さんから直接反応を聴きたいという想いが湧き上がる。そこで、昼は雑貨屋、夜はカフェ・ギャラリーとしてSMLをスタートした。当初は自分たちのプロダクトや海外の文房具などを売っていたが、ディレクターの宇野さんが大分県の小鹿田焼という民藝のうつわに出会ったことがきっかけで、日本のものを扱う方向へシフトしていくことになる。

小鹿田焼のうつわ/Photo by Shinichi Nagahara

「当時は、民藝の流れを汲んだうつわを扱う専門店が少なかったのです。北欧とかヨーロッパのおしゃれな食器のセレクトショップはありましたけど」

現在もSMLは宇野さんがそのほとんどを取り仕切っている。企画展を月に2回程のペースで開催し、日本で一番企画展やイベントを開催していると豪語する姿は、とても誇らしげだ。

80〜90年代の大量消費、既製品全盛の時代を経て、今一度手仕事に還ることになった山本さんは、時代の移り変わりを身をもって体現しているかのように映った。その時代の流れに乗ってきただろう山本さんが次に眼差す先は、GRAYSKY  projectという、今一度自分の郷里に還る活動であった。

 

日本の曇天から得られた豊かさがソーシャルデザインに繋がった

山本さんが今力を入れているのがGRAYSKY projectである。ネーミングの由来は、彼女の故郷・日本海地方の曇天から来ている。日本海地方は冬にうす暗い空に包まれるが、その冬にこそ魅力がある。

日本海地方の産物や手仕事の素晴らしさを様々な形で伝えるのが、このプロジェクトだ。

年齢を経て日本酒にハマり、そこからふぐの卵巣を糠につけて無毒化させたものや、サザエの麹漬けなど、日本海地域独特の文化に彩られた産物の面白さに気づき、それを広げたいと思ったのがプロジェクトのきっかけであるという。

Photo by Shinichi Nagahara

これには彼女の中にある“北前船”という思想が強く影響している。

「昔、日本海地域を回る北前船(きたまえぶね)というものがあったのです。大阪から下関の方を通り、日本海地方を巡って、最後は北海道に着き、また戻る。船長が自らリスクを負って荷を集め、仲間を募って、売り買いして、商売していく。そうやって自分が運びたいものを運んで、一人商社という感じで回る船だったそうです。しかも、ただモノを売るだけでなく、モノと一緒に運ばれてくる地方の文化も重要でした。私の妄想では、文化が寄港地でうまくミックスされて次に運ばれていく。日本海地域の文化には北前船が大きく影響を与えているので、私たちも現代の北前船になって、日本海地域の文化やおばあちゃんの暮らしの知恵、つくり手の想いを有機的に運んで伝えたいんです」

この現代の北前船のようなGRAYSKY projectが、日本海地域を含めて文化の担い手が少なくなっていく場所を渡り、その豊かな知識や文化の継承を伝えていくというソーシャルデザインとしての側面を担っている。

GRAYSKY projectの概要

山本さんは、北前船がかつて売り買いを通じてやっていたように、誰もが参加しやすい形を目指して活動している。

「初めた頃は日本海地域の役に立ちたいと思ったんですが、むしろ学ぶことの方が多くて。そんな時、子育てが終わったりして心路の余裕ができた友人たちから、何か社会貢献をしたいとう相談を受けたんですね。そこで、イベントに参加するだけでチャリティになる、社会との接点を考えるきっかけをつくることをはじめました。個人的に人と人をつなぐことでも、いつか役に立てるんじゃないかと思うんです」

温かく穏やかに、しかしまっすぐに想いを語る彼女の姿は、まさに日本海地域の気質―ほっこりしているようで、ものづくりはいちがい(がんこ)―だ。大きくまるく包み込んでくれるような雰囲気と、しかし決して譲らない芯を持つ。母なる海とはよく言うが、彼女は南のきらびやかな海とはちがう、一見穏やかだが強い潮の流れを内に秘めた、日本海のような人だと私は思った。

 

これからの寄港地

山本さんの乗る船は今後どのような場所に向かって帆先を定めているのだろう。見えている寄港地としての行く先を2つ語ってもらう。

1つの場所は中目黒。2018年2月24日から3月4日にかけて、co−toriというイベントが開催される。東京で出会う“小さな鳥取”として、鳥取の手仕事に触れ、食を楽しむイベントだ。

TOTTORI craft展」では、SMLとして鳥取の民藝運動家の方の作品を筆頭に、多くの民藝を紹介し、さらに購入も可能だ。また、「co-toriカフェ」として、鳥取の生産者から直送された食材を使ったメニューや、人気店の商品を楽しめるカフェも開催される。玄米甘酒やベーコンステーキなど、鳥取の滋味を気軽に堪能できる。

「TOTTORI craft展」メインビジュアル

関東の人間からすると、鳥取はとても遠いように見えるが、これを機会に、知らなかった鳥取の魅力を存分に味わいたい。

もう1つの場所は東京以外。日本の地方である。

イベントに加えて、山本さんは、今年はもっと取材へ出たいとも話す。

「今年は一人でも多くの方に会いに行きたいです。取材のペースがゆっくりすぎるので、ペースアップして」

GRAYSKY  projectでは、メディアを通して地方の魅力を伝える活動も行なっている。様々な人がGRAYSKY projectの企画やイベントを見たり、参加したりすることで、自分ごとが広がり、互いに良くなっていく…そんな理想図を山本さんは描いている。これを彼女はじぶん化計画と呼ぶ。

スタッフに推奨している考え方で、周りのことをどんどん自分ごととして考えていくという姿勢である。

「周りが幸せだと自分も幸せになれます。近江商人の“三方良し”です。自分もクライアントもお客さんも良いように。加えて、環境も良いように、で“四方良し”をGRAYSKY projectでは目指していきたいですね」

自分ごとの輪を、幅広い地域、年齢層に広げていく。それが、山本さんの目指す先である。彼女の船はすでに出航してさまざまな景色を見て乗組員と共にモノや文化を伝えているが、今後もその航路の先々で新たな出会いと自分ごとの輪が広がっていくだろう。

 

kakite : Yuki Fukushi Matsuyama/Photo by 倉持真純(クレジットがあるものと*を除く)/Edit by Unno Chihiro


山本加容/Kayo Yamamoto

1969年金沢市生まれ。東京学芸大学にて、食品学・栄養学・住居学・服飾学・児童学を学ぶ。スタイリスト・グラフィックデザイナーを経て、2004年、プランニング・デザインオフィス サーモメーターを設立。2009年、器と工藝の店SMLをオープン。2015年、日本海地域から豊かな暮らしを学ぶ「GRAYSKY project(グレイスカイプロジェクト)」をスタート。2017年、東京・清澄白河にコミュニケーションスナック「ちんぷん館 TOKYO」をオープン。日本海地域の食文化と手仕事を楽しみながら、地域や社会との新たな接点を模索するイベントを開催している。

 

 

取材フォトギャラリー

*

*

 

 

 



FACKBOOK PAGE LIKE!
ART
×

PEOPLE

ヒト、アーティスト

PLACE

場、空間

THING

モノ、コト